上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.--(--:--)|スポンサー広告||TOP↑
――その子は、雪のように白く、血のように赤く、黒檀のように黒いかみをしていたので、白雪姫と名づけられました。

わたしは白雪姫生産工場で働いています。あら、工場についてお聞きになったことがないのですか?簡単に説明しますと、まず始めにそれはそれは美しい少女たちが工場には仕入れられてきます。少女たちは薔薇の風呂に入れられ、素晴らしく良い香りがするオイルを肌に刷り込まれます。髪の毛は綺麗に手入れをされ、仄かに化粧が施されます。それぞれの顔立ちの魅力が引き立つように化粧も工夫されているのですよ。支度が整ったなら、唇に数滴、特別な液体を垂らして仮死状態にしてしまいます。さながらロミオとジュリエットのジュリエットのようでしょう。眠るように横たわる、お姫さまとなった少女たちを、美しく装飾された硝子の棺に丁寧に納めます。そうして棺は王子さまたちへと出荷されていくのです。出荷されたお姫さまたちがどうなるのか気になるのですか?顧客の王子さまには、仮死状態を解く解毒薬が、棺と共に渡されることになっています。ええ、お察しの通り、少女の口にその解毒薬を垂らさなければ半永久的に仮死状態のままにもしておけるのです。それはもうお好きなままに……。

さあ、あなたも王子さまになってはみませんか?


棺の中に納まる少女、そのオブジェ化と神聖化、所有出来る喜びに。

120221b.jpg
via Фото и рисунки, арт и креативная реклама

120221c.jpg
via Eugenio Recuenco

スポンサーサイト
2012.02.21(22:34)|少女コメント(2)トラックバック(0)TOP↑

「少女コレクション」という秀逸なタイトルを考え出しだのは、自慢するわけではないが私である。おそらく、美しい少女ほど、コレクションの対象とするのにふさわしい存在はあるまい、と考えたからだ。蝶のように、貝殻のように、捺花のように、人形のように、可憐な少女をガラス箱のなかにコレクションするのは万人の夢であろう。『白雪姫』の小人たちは、毒林檎を食べさせられた白雪姫が死んでからも、まるで生きているように美しく赤い頬をしているので、これを土のなかに葬るに忍びず、透明なガラスの柩をつくらせて、その内部に姫を寝かせ、山の上に運んでいって、いつも自分たちで番をしていたというが、さすがに知恵のある小人のことだけあって、うまいことを考えたものである。おまけに、このガラスの柩には、金文字で姫の名前が書きこまれ、姫が王女の身分であることまで一目で分るような仕掛になっていたらしい。これではまるで標本ではないか。ラベルにラテン語で新種の蝶の学名を書き入れるウラジーミル・ナボコフ教授の情熱と、もしかしたら、それはぴったり重なり合うような種類の情熱だったのではあるまいか。

- 『少女コレクション序説』 澁澤龍彦 -


少女コレクション序説 (中公文庫)少女コレクション序説 (中公文庫)
(1985/03)
澁澤 龍彦

商品詳細を見る
2010.07.12(22:18)|少女コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
少女愛と少年愛は等しくわたしの好物ではあるのだけれど、少女に対する見方が、同性であるという性別認識からノスタルジー、思春期の過渡期の危うさへの憧憬、喪失する以前に自身には持ち得ることがなかったファンタジー、として愛しているとするならば、少年に対しては、男性の視線を通しての少年性を愛でていることが大きな違いになるのだと思う。

稲垣足穂の視線を通しての少年愛、江戸川乱歩の視線を借りての少年美。

少年個体としてではなく、男性が少年に対してノスタルジーを含めながら美しさの憧憬を語ることによって、その少年は特権的少年としてわたしのなかで崇拝対象と化していく。
つまりは男性が少年性に美を見出している図そのものが、わたしにとっての“少年愛”という形なのだ。
この、自身の視線を直に向けるか、異性の視線を借りて向けるか、の差がわたしに少女への執着心をより強く齎せている理由のひとつでもあるのだろう。

先日、『エロティクス・エフ』の最新号を買って読んでいたら、中村明日美子さんの新連載「ウツボラ」に出てくる女の子が、あまりに可愛くて綺麗で「なんだ、この理想形は!?」と動揺しながらも感動してしまった。
実際にこんな少女がいたならば、愛するあまりに狂ってしまうに違いない。

しかし、実際に狂うとまではいかなくても、心がざわついて惹き込まれてしまう女の子はいる。
それは容姿や精神や才能や、またそのどれでもなく女の子という年齢ですらなくても、執着心を抱いてしまう人は存在する。なかなかに沢山いる。
わたしは、自身は多分ヘテロセクシャルだと考えているので(多分と言うのは今まで幻想にしか恋したことがないのではっきりと確信を持てるには体験不足なことを考慮して)、女性を性的な視線でもって見たことはない筈だ。
だけれど、異性より同性の方が心がざわつかされる機会が多い。
異性ならば、わたしが尊敬してしまうものや憧れて止まないもの、たとえ蔑む対象なものを持っていたとしても、性別の違いという認識でもって意識せずに接していられる。
が、同質の身体構造をしている同性の場合は、同じものだからこそ、同じではないことに、はっきりと気づかされてしまう。
同性には、全く安心出来る要素がないからこそ、どうしようもなく惹かれてしまうときがある。

―― この人が存在することにより、わたしという人間はまるで一塊の泥人形のような物体でしかないではないか ――

このような感覚に陥らされてしまうからこその魅力なのだ。

そして、こんなことをつらつらと考えながら、今日もわたしは少女という生き物に癒され心乱される。
2008.11.27(23:16)|少女コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
少女と棺はよく似合いますな。
棺でなくとも「ハコ状の形態の中に収まる少女」というのは禁忌的な美しさを感じる。

hitugi.jpg


f:id:hakononaka:20070503212506j:image


ハライソ―笑う吸血鬼 2ハライソ―笑う吸血鬼 2
(2004/02/26)
丸尾 末広

商品詳細を見る


VOGUE NIPPON (ヴォーグ ニッポン) 2007年 05月号 [雑誌]VOGUE NIPPON (ヴォーグ ニッポン) 2007年 05月号 [雑誌]
(2007/03/28)
不明

商品詳細を見る

2007.05.03(00:00)|少女コメント(0)トラックバック(0)TOP↑

私にとって、少女とは「神聖かつ不可侵な存在」である。少女のフォルムはまだ手付かずで「純粋」であり、少女は「完璧な美の象徴」なのだ。

バルテュス


f:id:hakononaka:20070401145914j:image

2007.04.01(00:00)|少女コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
プロフィール

古谷 葵

Author:古谷 葵

Blog title:
Koumori to Namekuji no Utage

箱詰人形などとも名乗っております。
怠惰な日々を過ごし中。
twitter:@hako_guru
mail:hako.zaregoto@gmail.com

猟奇唄
猟奇唄 (上) コシーナ文庫
猟奇唄 (上)間 武

三行詩集『猟奇唄』の表紙絵と挿絵を描かせていただいてます。
取扱書店:ジュンク堂池袋店/大阪中崎町・書肆アラビク/アマゾン
Dodgson Vo.1
◆Dodgson Vo.1 「漂流少女」◆

幼女に関する短編小説&考察を寄稿させていただいています。
書肆CAVE
箱詰人形セレクト

ギャラリーCAVEさまのオンライン古書店<<書肆CAVE>>にて、わたくし箱詰人形がセレクト致しました“箱詰人形セレクト”なるカテゴリを設けていただいております。
カテゴリー
月別アーカイブ
リンク
ブログ内検索
RSSフィード
Ajax Amazon
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。