「できる事なら、過去に、お好きな記憶をトッピングと行きたいね!」 (ジョーカー)
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「できる事なら、過去に、お好きな記憶をトッピングと行きたいね!」 (ジョーカー)
via 国際ニュース : AFPBB News【11月8日 AFP】ロシア西部ニジニーノブゴロド(Nizhny Novgorod)で、45歳の男が墓地から白骨遺体29体を盗んだ容疑で逮捕された。警察当局が7日、発表したところによると、男は持ち帰った白骨にドレスを着せて自宅に飾っていたという。
逮捕されたアナトリー・モスクビン(Anatoly Moskvin)容疑者は、博士号を持つインテリと伝えられており、地元では墓地に強い興味を抱いていたことで知られていた。研究者の間では墓地の専門家として知られていたともいう。
地元内務省によると、モスクビン容疑者が住むアパートの部屋からは、本物の人間と同じ大きさの「人形」28体が見つかった。「人形」は墓地から掘り起こした遺体に容疑者自身がミイラ処理を施し、手製のドレスを着せたものだった。このほかにも、車庫から1遺体が見つかったという。遺体はほとんどが若い女性のものだったという。
警察が公開した動画には、書籍や色とりどりの布地が積み重なった狭い室内に、安っぽい家具に囲まれて様々なポーズをした「人形」が置かれた様子が映っている。
「人形」の1つは、フリルがついた紫色のドレス姿で、白い靴をはいた足を組みソファに座っている。このほかにも、ウエディングドレス姿のものや、本棚に寄りかかったポーズのものなどがある。どの「人形」も絵の具で顔が書かれているが、動物の頭の剥製をかぶせられたものも1体あった。
墓地に関する著作もあるモスクビン容疑者だが、有罪となれば、最高で3月の禁錮刑が科せられる。
モスクビン容疑者は数年前、地元のジャーナリストとのインタビューで、問題児だった10代のころ、たまたま、ある宗派による一風変わった埋葬の儀式を目にしてから、「まるで磁石で引き付けられるように」墓地にはまったと語っている。(c)AFP
まずはバーナーに火をつけて、たっぷりとした量のシャラント・バターを銅製のソースパンにのせる。次いで、溶けはじめたバターを揺すってバター脂肪を焼き、ブール・ノアゼットに仕上げる。バターがヘーゼルナッツのような、こんがりとしたノアゼット(キツネ色)になるまで熱したとことろで、博士はそれをわきによけた。これが、ソースのベースになるのである。
(中略)
古典的な調理法においては、脳髄はまず水に漬けられ、圧縮されてから一晩冷凍される。そうすることで、ほぐれることなく固まるのだ。とりだされたばかりの脳髄を食材とする場合、それが自然にほぐれてブヨブヨの塊になるのをいかに防ぐかに、調理人の腕がかかっている。
人間業とは思えない器用さで、博士は固まった脳髄を皿に移し、スパイスを混ぜ合わせた小麦粉を軽くつけてから、新鮮なブリオッシュのパン粉をまぶした。
そこで、ソースを完成させておく必要がある。
彼は穫れたての黒トリュフをすりおろしてソースに入れ、最後の仕上げにレモン汁を搾ってそこに加えた。
レクター博士の早業はつづいた。パン粉をまぶしておいたスライスを素早く炒めて、両面がキツネ色になるように仕上げたのだ。
「ううん、いい香りだぞ!」クレンドラーが言った。
こんがりと炒めた脳髄は、温めた皿に置かれた堅いパンの一切れにのせた。最後にソースをかけ、薄く刻んだトリュフをふりかける。付け合わせは、パセリと、茎についたままのケッパーだった。そこにクレソンを添え、キンレンカの花をのせてすこし高さを加えると、出来上がりだった。
「どんな味だい?」再びテーブル・フラワーの陰に隠された、クレンドラーが訊く。突拍子もない大声でしゃべるのは、ロボトミー(前頭葉切断手術)を受けた人間の特徴である。
「申し分ないわ」クラリスは言った。「ケッパーを味わうのも、わたし、初めてだし」
- トマス・ハリス『ハンニバル』 新潮文庫 -
吸血病(きゅうけつびょう)、好血症(こうけつしょう)、ヴァンパイアフィリアとは、人獣問わず、血液を好む症状を示す病気のこと。自傷行為により自らの血液を飲む人もいれば、付き合っている人から血液を提供してもらうというタイプの人もいる。
自傷型の場合は程度によるが、小さい傷から血液を得る、大きい傷を創って血液を得ると大別される。極度に症状が進行した場合、自分の血液に飽き足らず、犯罪に走って血液を追い求める者もうまれる。以上のような症状は鬱病などとして安定剤を医師に処方してもらうほか、カウンセラーによる症状の改善・回復が求められる。そうしなければ、社会的に復帰するのが困難だからである。
性的嗜好としてこれらに属する人がいたりするが、それよりは鬱病的なことが原因で発症することが多い。また、一度この症状にかかると、タバコや酒を飲むことなどのように日常化してしまい、禁煙や禁酒が困難なように、いわば「禁血」を行うことが困難となる。これに対抗するには禁煙・禁酒の如く強い精神力を持って解決するか、症状の根本的な原因を当事者自らが探り出さなければならないということとなる。いずれにせよ、一度ヴァンパイアフィリアにかかってしまうと、止めようにも止められないという状態に陥ってしまう為、改善には必ず長期戦を伴うこととなる。
ヴァンパイアフィリアでもっとも注意すべきは、他人の血液を得るケース。この場合は特に血液性の感染症に注意すべきであり、特にその点を留意した上で吸血すること。血液感染症への対策と自己の抑制(コントロール)にさえ注意すれば、他人を害することの非常に少ない症状ではある。しかしながら、嫌悪感を示す人間がいることも確実なため、早期の回復が望まれるのはどの病気や症状も同じであるといえる。
改善の一歩として「生肉を食べる」ことや「ドリップ(生肉から出る汁)を飲む」などの方法があるが、医学的な根拠は無く一種の民間療法に過ぎない。
桜の樹の下には屍体が埋まっている!これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。
(中略)
おまえ、この爛漫と咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まっていると想像してみるがいい。何が俺をそんなに不安にしていたかがおまえには納得がいくだろう。馬のような屍体、犬猫のような屍体、そして人間のような屍体、屍体はみな腐爛して蛆が湧き、堪らなく臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。桜の根は貪婪な蛸のように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食糸のような毛根を聚めて、その液体を吸っている。何があんな花弁を作り、何があんな蕊(しべ)を作っているのか、俺は毛根の吸いあげる水晶のような液が、静かな行列を作って、維管束のなかを夢のようにあがってゆくのが見えるようだ。――おまえは何をそう苦しそうな顔をしているのだ。美しい透視術じゃないか。俺はいまようやく瞳を据えて桜の花が見られるようになったのだ。昨日、一昨日、俺を不安がらせた神秘から自由になったのだ。
- 梶井基次郎 『桜の樹の下には』 -
人間はみな時を定めて薔薇の飼料となるべく栄養を与えられ、やがて成長ののち全裸に剥かれて土中に降ろされることだけが、男の願望であり成人の儀式でもあった。地下深くに息をつめて、巨大な薔薇の根の尖端がしなやかに巻きついてくるのを待つほどの倖せがあろうか。うずくまり、眼を瞑って、その触手のかすかなそよぎが次第にきつく厳しく裸身をいましめてゆく、栄光の一瞬。これほどの高貴の方が、この醜い、下賤な奴隷に手ずから触れて下さるのだ。最後の最後まで意識は鮮明に保たれ、すでに半ば溶けかかりながらも、いまのいま肥料として吸いあげられてゆく至福の刻。
- 中井英夫 『薔薇の夜を旅するとき』 -
実際、纏足時代の人びとはもともと金蓮を性の一部と見なしていたし、蓮迷からみれば金蓮は性にほかならなかった。金蓮は「媚夜の具」と称えられ、「世を挙げて魂を奪われる 媚夜の蓮」というのは、きわめて明白であった。清代の李百川〔一七一九ー七二〕の長篇小説『緑夜仙踪』には、弓鞋を見て、「思わず淫心が波打ち、精神が混乱する」人がいたことが描かれている。弓鞋がこうであれば、あからさまな蓮足はいっそういうまでもなく、愛蓮が癖になっている人のなかには、みずから、蓮足を一目見るや、夢精すると述べている人もいる(「蓮事余談」〔『采非録』四編〕)。
纏足の時代には、女性の脚が夫以外の男性に撫でられたり、その弓鞋が人に盗まれたりすることは、人に強姦され、貞節を失うのと同じであり、不徳な男性のなかには、女性の脚や鞋を撫でるとその女性と密接な関係が生じたのと同じと見なす者もいた。さらに、悪ふざけもした。たとえば、李栄媚が「洪南蓮話」(『采菲録』三編)の「白汁紅菱」で述べているように、隙に乗じてひそかに女性の弓鞋を盗んでそのなかに射精したり、さらに深夜に女性の家に忍び入り、窓を割って弓鞋に足を突っ込んだりする無頼もいた。
纏足時代に金蓮が性と密接な関係があるからには、もっぱらその関係を探求する人もいた。まず、繊足の土踏まずについて、女陰と同じであり、射精の道具にすることができると見なすなど、外観の特徴から金蓮と女性の特徴を牽強付会した(鄭英「葑菲閑談」〔『采菲録』続編〕)。また、繊足には女性の全身の美しさが集中しており、
白くてきめの細かい肌、形よく曲がっている眉、ほっそりしている玉のような指、円く突き出ている乳房、小さな口元、紅色の唇、秘めやかな私処などを兼ね具えており、香りもまた腕の下、股間、汗の香りに勝る。(予里「剣津翫蓮記」〔『采菲録』四編〕)
とも見なしていた。
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それにしても人間(あるいはなかば人形化した人間)から人形への移行には何か決定的とも言える断絶がある。人間イルゼへの愛には、当然のことながら愛の応酬という返答が用意されている。愛はその対象によって酬われるのであり、愛すれば愛されるのだから同時にそこが行き止りである。しかし人形への愛にはあらかじめ当てにできる到達点というものがない。それは、うつろな眼窩のように愛や崇拝の感情をことごとく呑み込んで、いかなる応酬もしない非情な虚無である。にもかかわらず、というよりはそれゆえにこそ、人形愛の賭金は限りなく高まり、はては当事者の自己放棄にほかならない死にいたるまでの耽溺というエクスタシーにゆきつくだろう。人形愛の当事者は、相手が自分に無関心であることをとうに承知しているのだ。W・ベンヤミンは言う。
「熱い唇が人形の耳元にためらうように囁きかける、あの大いなる告白、規範的な告白……『私があなたを愛しているからといって、あなたにとってそれが何でしょう』。そう囁きかけるのは愛する者のへり下りなのだ、などと思い込ませたがる人があるだろうか。これは願望なのだ、狂気と化した願望そのものであり、その願望像が人形なのだ。あるい
は、その願望像が屍体なのだ、と言わなくてはならないだろうか。死にいたるまで駆り立てられた愛する像そのもの、それだけが、この愛にとっての目標となる。それこそが、その目差しがどんよりと鈍いのではなく裂けている、あの硬直した摩滅した(人形の)胴体に無尽蔵の磁力を帯びさせるのだ。」(「人形頌」一九三〇)
ベンヤミンのこの言葉は、本来はマックス・フォン・ベーン『人形と人形芝居』の書評における蒐集家の人形フェティシズムについて論じたものだが、ほとんどヴァッカーの人形画について言われた言葉とさえ考えられはすまいか。無償の、見返りを期待しない、捨身の人形愛。その起源は宗教的偶像崇拝にある。
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病だけに話を限ってみても、前述の『神州纐纈城』(現実には存在しない急性の「奔馬性癩」なるものが扱われている)のほか、フランスのヴィリエ・ド・リラダンの『残酷物語』のなかに、「古代癩」なるもの(これも現実には存在しない)の出てくる短篇があるし、マルセル・シュオッブの『黄金仮面の王』には、やはり怖ろしい業病に悩む盲目の王が登場する。
中世の聖女にとって、癩病人の傷口が美しい薔薇の花に見えたように、想像力の倒錯したデカダン文学者の目にも、やはり病気による肉の腐敗、血、膿などが、世にも美しい宝石のように映じたのであろう。腐敗は一種の豪奢に通じるのである。精神の腐敗も肉の腐敗も、その意味では何ら変らないのである。
澁澤龍彦-橘外男『青白き裸女群像・他』解説-
母親とは娘にとって何か?
娘とは母親にとって何か?
そして……
母親は娘に何を与えたか?
わけなんてないのよ だれだって子どもは親に似るしかないのよ ただ それだけよ
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纏足の魅力は、一つは、一種の美容術でハイヒールと同様足を小さく見せて、スタイルを美しくし、腰部を発達させて性的魅力を発達させることにある。ハイヒールとの違いは、ハイヒールは、脚線美を強調しているが、纏足は、複雑に覆われていて外部からはまったく見えないこと、そこに何があるのかと興味を引くという隠された足に魅力があるという点である。
また、もう一つの纏足の魅力は、「玩蓮」と呼ばれる官能の開発である。これは、纏足によって男性の性感を刺激するというもので、それは、聴覚に訴えるものが一つ、「聴」と呼ばれるもので、纏足の足音を聞くというものである。視覚に訴えるものが四つで「矚」「窺」「看」「視」と呼ばれるもので、「矚」は纏足を遠くから、下から眺めるというものである。「窺」は、盗み見するというもので、「看」は、見るというもので、「視」は細かにみるというものである。これだけでも、纏足がいかに男性にとって性的な魅力があったかということがわかるが、さらに、嗅覚にうったえるものが一つ、触覚にうったえるものは四十六ある。ただし、だぶるものがあるので、全部で四十八もの官能の開発があったという。このように、纏足をした足は、性的用具としての役割を果たしていた。
引用: 第二章 中国女性の性的羞恥心-国家の命運と靴下の中-
Author:古谷 葵
Blog title:
Koumori to Namekuji no Utage
箱詰人形などとも名乗っております。
怠惰な日々を過ごし中。
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