わたしは眼の器質が元来弱いので、潮風など吹けばたちまち白目は赤く充血し、涙がぼろぼろと零れ落ちてしまう。海辺に立ちながら、渦を巻いて吹き抜ける風から齎される苦痛を耐え忍び、白兎のように赤く染まった目を大きく見開いて濃紺の海を見つめ続けた。……やがて、波飛沫とともに“なにか”がやってくるのが見えた。“それ”はわたしが焦がれるほどに待ちわびていたものだ。

“それ”は月の光に照らされて青白い光を纏いながら近づいてきた。なんと幽玄な光景だろうか。もはや待っていることすら耐え難く、わたしは裸足で海岸まで駆けていく。踏みつけてしまった貝殻が踵に深く突き刺さって血が流れた。血は砂浜に吸い込まれていく。

“それ”は……、“人魚”は……、嬉しそうにわたしを見上げた。赤い唇が艶かしい。三日月のように目を細めて微笑む人魚にわたしは無我夢中で抱きついた。

人魚の下肢にびっしりと覆われた鱗は光を反射してきらきらと光って美しい。桜貝のように儚く脆く見えるが触れてみると鎧のように硬くあった。わたしは真冬の夜の寒さで白くなった舌を伸ばして人魚の下腹部を愛撫していく。ざりざりと硬い鱗に舌は擦れて血が滲み出る。痛みに耐えられなくなり口を離すと、人魚は愛らしい顔を近づけてわたしの首に白い腕を回し接吻してきた。

口のなかに人魚の塩水のような唾液が滲み込んで、突き刺さる痛みにわたしは呻く。人魚はより密接にわたしに絡みついてくるので、わたしの足の肉も人魚の鱗にざりざりと削がれていく。激痛が脳の芯を麻痺させていく。長く青い髪は穏やかな海のように波打っていて、押し倒されたわたしの顔の上にかかる。鼻を掠める潮の匂いに気が触れてしまいそうな恐怖と快楽が襲ってくる。


今夜、わたしは死ぬのだろう……。痛みと快感のなかでわたしは人魚の蒼白く柔らかい乳房に顔を埋める。ああ、けれども夜はまだ長い、夜はまだこれからなのだ。
2010.04.27(23:18)|思考文章コメント(4)トラックバック(0)TOP↑
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