念を押すようだが、わたしにとっての両性具有とは、あくまでも観念上の存在であり、完全なる美の象徴である。極めて人工的な美を崇拝するということは、拒絶しきれない現実への、せめてもの抵抗の意思を示したいという欲望でもある。人間が創造した“完全なる人間”という夢。

ユートピア(理想郷)をどれほど希求してもユートピアに辿り着くことは不可能なように、一角獣を追い求めてもけっして一角獣をその眼で見る機会は訪れないように、存在しないからこそ至高の存在として愛することが出来る。眼前にユートピアが現れれば、それは理想郷ではなく、テーマパークとして認識することになるだろう。テーマパークは魅力的であるし、楽園の模倣、パロディの創造はわたしが愛しているテーマのひとつでもあるが、それはあくまでも楽園そのものではないという事実があってこそ成り立つ。一時の楽園の快楽を味わうことは可能かもしれないが、生活が入り込めばたちまち色褪せるに違いないことは自明であるからだ。

ルートヴィヒ2世が創りしノイシュヴァンシュタイン城のように、夢想家が夢想の力で補強して楽園と化すことはあるかもしれない。しかし創造主以外にはその力の恩恵を蒙るのは難しい。日常という脅威に晒されたときには、自分自身の力によって夢を強固にしていく作業が必然となり、そうなれば他者に夢を託す必要性は失われてしまう。想像してみてほしい。一角獣が発見されてしまったとしたら、それは白馬に角が生えているという馬の種のひとつとなり、幻想性は消失するだろう。図鑑にでも載ってしまえば、造形としてはキリンや象の方が奇妙にすら思えてしまうだろう。例えば、一角獣を造ろうと遺伝子操作により産まれたとしても、その夢を実現しようとする思想そのものに心惹かれはするが、実現することは幻滅を呼ぶ。蒼い薔薇がいつまでも不可能であってほしかったように。

完全なる両性具有はそのように現実には在り得ない美であり、その美を文学や音楽、芸術の力によって具象化しようとした作品をわたしは愛している。夢は夢で表現されなければならない。

そんなわたしの心を躍らせてくれた両性具有の作品を下に紹介したい。

111009a.jpg
『聖多面体 Ⅴ ‐Icosahedron‐』 中嶋清八

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『アンドロギュヌスのマリア』 甲秀樹

2011.10.09(21:19)|両性具有コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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古谷 葵

Author:古谷 葵

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