蝙蝠と蛞蝓の宴資料・記録
> 人形愛への耽溺

それにしても人間(あるいはなかば人形化した人間)から人形への移行には何か決定的とも言える断絶がある。人間イルゼへの愛には、当然のことながら愛の応酬という返答が用意されている。愛はその対象によって酬われるのであり、愛すれば愛されるのだから同時にそこが行き止りである。しかし人形への愛にはあらかじめ当てにできる到達点というものがない。それは、うつろな眼窩のように愛や崇拝の感情をことごとく呑み込んで、いかなる応酬もしない非情な虚無である。にもかかわらず、というよりはそれゆえにこそ、人形愛の賭金は限りなく高まり、はては当事者の自己放棄にほかならない死にいたるまでの耽溺というエクスタシーにゆきつくだろう。人形愛の当事者は、相手が自分に無関心であることをとうに承知しているのだ。W・ベンヤミンは言う。
「熱い唇が人形の耳元にためらうように囁きかける、あの大いなる告白、規範的な告白……『私があなたを愛しているからといって、あなたにとってそれが何でしょう』。そう囁きかけるのは愛する者のへり下りなのだ、などと思い込ませたがる人があるだろうか。これは願望なのだ、狂気と化した願望そのものであり、その願望像が人形なのだ。あるい
は、その願望像が屍体なのだ、と言わなくてはならないだろうか。死にいたるまで駆り立てられた愛する像そのもの、それだけが、この愛にとっての目標となる。それこそが、その目差しがどんよりと鈍いのではなく裂けている、あの硬直した摩滅した(人形の)胴体に無尽蔵の磁力を帯びさせるのだ。」(「人形頌」一九三〇)
 ベンヤミンのこの言葉は、本来はマックス・フォン・ベーン『人形と人形芝居』の書評における蒐集家の人形フェティシズムについて論じたものだが、ほとんどヴァッカーの人形画について言われた言葉とさえ考えられはすまいか。無償の、見返りを期待しない、捨身の人形愛。その起源は宗教的偶像崇拝にある。

-『魔術的リアリズム』種村季弘 ルドルフ・ヴァッカー論-


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種村 季弘

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2010.03.03(23:52)|資料・記録コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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