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 僕の家に彼女が来てからもう一週間が経つ。庭で野良猫と駆け回る彼女の、澄み切った空のように軽やかな笑い声を聞きながら、僕は本棚を探る。彼女へ読み聞かせてあげる本をみつけるために。一冊の書籍に触れたところで指が止まる。『不思議の国のアリス』。そういえば彼女はアリスと同じ年であったことを思い出す。

――――七歳のアリスが迷いこんだワンダーランド。グロテスクに紡がれたその世界を少女は縦横無尽に駆け巡った。ドジソン(ルイス・キャロル)が創った物語から生まれた“アリス”は、それから現在に至るまでの長い間、少女の代名詞として君臨し続けている。

 彼女が窓から僕のことを遊びに誘う。僕は外に出るのが好きではない。外には汚いものがたくさんあるからだ。母は僕にいつも言い聞かせていた。外界には夥しい菌がひしめいているので無闇に触れば病気になると。母は僕に多くの禁止事項を与えた。僕は母を誰よりも愛していたが、同時に誰よりも憎んでいた。

――――アリスの世界にいるハートの女王のあの醜悪さは、ある一面ではあらゆる母親の悪しき面が凝縮されているとも考えられる。ピーターパンの物語に登場するフック船長が少年にとって倒すべき父親としての役割を果たしているように、アリスは娘として、ハートの女王という母親からの、理不尽に爆発する怒りを遣り過さなければならない。少年のように勝利によって解決が提示されているわけではないのは、娘と母親というこのやっかいな関係は、もつれた糸のように絡まりあっているために、単純な解決などありえないからではないだろうか。

 遊びに飽きたのか、彼女は勢いよく玄関のドアを開けて中に飛び込んでくる。汚れに過敏な僕に気を使って、そのままシャワーを浴びにいってしまった。僕は彼女のためにミルクを温める。椅子に座りながらミルクに落とした角砂糖が溶けていくさまを眺めている。僕が買ってあげた白いワンピースに着替えてきた彼女は、満面の笑みを浮かべながら俯いている僕の顔を覗きこんできた。泣きそうな顔をしている僕を見ると、両の手で僕の頬を包み、そのまま静かに抱きしめてくれた。

――――少女とは女の雛形ではなく独立したひとつの性である。失われることがあらかじめ決定されている性だ。だからこそ大人となってしまった我々に、少女の魅力は、切り裂かれた傷跡のような鮮烈な痛みをもって、胸に突き刺してくる。化粧も洋服も、義務のように施していく女性たちの、それらは鎧である。鎧はいつしか精神へと浸透し、硬い殻となって、外界からの防御と同時に拒絶をも齎すようになる。少女とは、まだ剥きだしの魂を、薄い膜で覆っている状態だ。薄い柔らかい膜に包まれて、無防備にその魂を透けて見せている。それゆえに、無垢な子供の頃のみ母親の魂に触れることが許されていたことを、あの幸福なひとときを我々に思い出させ、少女とは庇護すべき愛らしい存在でありながら、母性を感じさせる存在へとも変化する。ハートの女王が母の悪しき面であるとするならば、聖性はアリスへと付与され、少女は聖母のようにすべてを許してくれているのだという幻想を生み出す。

 キッチンで食器を漂白液に浸けてリビングへ戻ってくると、彼女は疲れたのかソファのうえで猫のように丸くなって眠ってしまっていた。そっと横に腰を下ろすと、彼女の絹糸のように細く輝いている髪の毛を、指で掬い梳かしてみた。どうしてこうもなにもかもが美しいのだろう……。僕の嘆息に反応してか、長い睫毛が微かに震える。半開きの唇は、薔薇の蕾のようにぽってりと赤く、滑らかな白い肌は光を反射して眩い。彼女の寝息に耳を傾けながら、僕はこの幸福に恐ろしくなる。

――――少女を描き続けた画家バルテュスはこう言った。少女とは「このうえなく完璧な美の象徴」であり「神聖かつ不可侵の存在」であり「少女のフォルムは、まだ手つかずで純粋」なのだと。また、八歳から十七歳まで画家のもとへ通った、バルテュスの最後のモデルとなったアンナについて「初めてアンナに会ったとき、私はおびえてしまった。あまりに美しかったからだ」と回想している。怯えとはすなわち畏怖である。そこからは崇高な存在に対する信仰と尊敬の念を、バルテュスが少女に向けて抱いていたことが読み取れる。

 けたたましいサイレンの音が静寂を破った。彼女はうっすらと瞳を開く。僕は彼女に約束は絶対に守ると誓う。彼女は笑う。何の恐れもないといった風情で欠伸をする。玄関の呼び鈴が叩きつけるように鳴らされる。深呼吸をする。僕はこれから、長い年月を閉鎖された空間で暮らさなくてはならないだろう。勤務先の病院で、はじめて彼女に会ったとき、その愛らしさに息を呑んだ。彼女は怒っていた。彼女の母親が弟を産んだからだ。みんなが彼女を蔑ろにしていた。新しい命の誕生に夢中だった。彼女の大好きな父親までもが、彼女より、母親と母親が産んだ赤子に心奪われていた。心配させるために家出するのだと憤る彼女に、僕は協力を申し出た。そして叱られることを心配する彼女に、僕が無理やり連れ去ったことにするから安心していいと話した。扉が抉じ開けられ、複数の男たちの怒声が響く。僕は立ち上がる。彼女は泣き真似を始める。

――――まだ乳房が膨らむ前の、初潮が始まる前の、幼い少女だけが、少女という性そのままに振舞うことができる。甘えながら翻弄する。聖母でありながら娼婦であり、無垢でありながらも邪である。自らを守る術を身につける必然性すらまだ芽生えていない彼女たちの心は自由そのものなのだ。
 
 彼女を無事に保護することに成功した刑事たちの喜びの声が部屋に響いた。ママとパパに会いたいと泣く彼女は、泣き真似ではなく本心からのようだった。彼女から目を離してしまったことを自責し、無事を祈り、憔悴しながら過ごしていたであろう両親に、早く抱きしめられたいのだろう。僕は、彼女を傷つけるようなことは一切していないと、両手首にかけられた手錠を見つめながら訴える。僕のためではない。彼女の人生に傷をつけないためだ。軽蔑と憎悪の視線に晒されながら、乱暴に家の外へと連れ出される。僕は白ウサギの役をきちんとやれたと思う。彼女を日常から少しばかりの非日常へ、不思議な冒険をさせてあげられた。それに、僕は判っている。彼女が次に冒険するのはもう不思議の国ではないことを。きっと、深く暗い森の中であるということも。僕はそれを見ないですむことを幸運に思う。



――――赤い頭巾を被って森を歩く愛らしい少女は、狡猾な狼に食べられてしまう。これはすべての少女の運命を暗示している。少女は死ぬのだ。切り裂いた狼の腹から血に塗れて助け出されたとしても、この世界に隙間なく張り巡らされている罠に気づいてしまった彼女は、もはや少女ではなく一人の女なのである。


*上記文章は幼女読本ユニット『ドジソン堂』から2011年11月12日発刊されたDodgson Vol.1「漂流幼女」に寄稿させて頂いたものです。
サイト: ドジソン堂
2013.10.02(23:22)|思考文章コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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猟奇唄 (上) コシーナ文庫
猟奇唄 (上)間 武

三行詩集『猟奇唄』の表紙絵と挿絵を描かせていただいてます。
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◆Dodgson Vo.1 「漂流少女」◆

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