『挿絵と旅する男』と同年に書かれた『人形』というエッセイには、「人間に恋はできなくとも人形には恋ができる。人間はうつし世の影、人形こそ永遠の生きもの」とあって、まさに人形の存在こそは「うつし世」を夢とし、「夜の夢」こそまことと考えた彼にとって、最もリアルかつ日常的なモチーフだったのである。「もし資力があったなら、古来の名匠の刻んだ仏像や、古代人形や、お能面や、さては現代の生人形や蝋人形の群像とともに、一間にとじこもって、太陽の光をさけて、低い声で、彼らの住んでいるもう一つの世界について、しみじみ語ってみたい気がするのだ」と語っているのは、筆のあやではなく本音であろうが、このいわば人形淫溺症の素地は近世の説話や事実談に見られるものと軌を一にしているところから見ると、乱歩一人の趣味というより、むしろ日本人の人形に対する伝統的感覚を拡大したものといえる。
『幻想と怪奇 創刊号』‐人でなしの世界‐紀田順一郎
"人形淫溺症"って言葉がもう素敵すぎてうっとりします。