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最近、よく女装について考えている。わたしは女装が出来ない。女として生まれたのだから当たり前である。だから、男になってみたいと思う。男になって女装をしたいと思う。

セーラー服を着てみたいのだ。

しかし今の自分が着ても、ただひたすらに醜悪なだけではないか。他者の眼を一切排除して、個人的に楽しむことのみを前提として考えたとしよう。確かに、容姿については憂慮せずに済むかもしれない。
……それでも、今の性別のままでは駄目だ。
過去と現在があまりにも地続きなため、空想の入り込む余地がなさ過ぎてしまうのだ。
少女という生き物であったという“過去”を持ちながら、少女性の象徴でもあるセーラー服を“今”着ることの困難さ。いや、着るを目的としているだけなら簡単なことでしかないのだろうな。問題なのは、わたしが望むセーラー服としては機能しない、ということだ。

それゆえに、性別を切り離す作業を必要とする。
男になってからの女装というプロセスを経たいと願ってしまう。

ああだけれど、わたしの髪が真っ白になる頃には、もしかしたら着られるかもしれない。
紺色に赤いリボンのセーラー服、きちんとアイロンがかけられたプリーツスカート。ちょっとしたアクセントとして、真っ赤なルージュを唇に、真っ赤なマニキュアを指先に塗ってみようか。
そうしたならば、思いっきり街中を駆けていくのだ。

そんな老婆の姿は、なかなかに素敵じゃないかと思うのだが、どうだろうか。
2008.09.26(23:22)|思考文章コメント(2)トラックバック(0)TOP↑
素敵だと思います。

老婆になる前ではやはり駄目なのでしょうか。
From: tokiwa * 2008.10.02 18:30 * URL * [Edit] *  top↑

tokiwaさん、こんばんは。
うーん。今だと、まだファンタジーとしては楽しめないかなあ、と。
でも、“女装をしたい女という性別の自分”については、他の要素もあるように思えるのでもうちょっと考えていきたいのです。
コメント有難うございました!
From: 古谷 葵 * 2008.10.03 21:17 * URL * [Edit] *  top↑

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