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> 聖なるエロス> 蝙蝠と蛞蝓の宴展覧会感想
> 聖なるエロス
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先日まで開催されていた山本六三の展覧会は副題に<聖なるエロス>と冠されていた。確かに山本六三の描く女性はひとつの高みに位置しているかのような聖性が与えられている。
多くの作品で彼女らの足元に置かれている幾本かの薔薇の花は、花弁と茎は(殆どが)切り離されておらず、踏み躙られたりはもちろん、暴力的に花弁が散らされていることもない。それは美への、一種の敬虔さをもって奉げられている、供物のようでもある。

作品のモチーフに多様されている白き百合の花、角の長いユニコーン、そしてヘルマフロディトスの男根。これらは同一視できるのだろう。
特に銅板画で描かれたヘルマフロディトスの屹立した男根に百合の花のイメージを重ねることはいともたやすい。清廉さと気高さ、けっして蹂躙されることがない存在としての象徴。象徴としての処女。
ここから山本六三の描く両性具有者は、誰にも<犯される=侵される>ことがない為の両性具有者、であることが伺える。

『ノスタルジィを見つめるスフィンクス』では、憂いを含み郷愁を滲ませた瞳で風景を眺める女たちと、積み上げられた頭蓋骨に凭れかかり今にも息を引き取るであろう(もしくは引き取った瞬間であるかもしれない)傷ついた青年が描かれていた。禿鷹に見下ろされている姿から、その青年もまた骸の山のひとつと化すであろう運命が示唆されている。

根底に流れているのは、搾取する女たちと搾取される男たちの寓話だ。
それは頭蓋骨を抱いたヘルマフロディトスの作品からも感じ受けることができる。

『女友達』を代表とする、一連の女性らが全裸で戯れている作品では、ソックスのみは身に付けたままなどフェティッシュな魅力は存分に発揮されているが、そこに肉欲は見出せない。あくまでも植物的なエロティシズムなのだ。

精緻な線と計算された構図で、神経質にすら思えるほどに細密に描きこまれた作品群。前述の全ての要素が混ざり合い、硝子結晶の如く聖なる女たちによる、頽廃の宴が繰り広げられていく。

だからこそバタイユの小説『眼球譚』を挿絵によってより完璧に補完することに成功したのであり、依頼した生田耕作の審美眼の確かさには感服してしまうのだ。
会場には、山本六三が挿絵を描いた幾冊かの書物もガラスケースのなかに展示されていた。『エロス・タナトス』の画集とともに是非とも復刊して頂きたいものだと、垂れそうになる涎を拭いながらひたすら物欲しげに眺めてしまった。


関連ログ: 蝙蝠と蛞蝓の宴 | 山本六三展 -聖なるエロス-
2009.04.14(21:39)|展覧会感想コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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